にっき

 

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Duel --- 決闘, 果たし合い

今日はお昼前にテレビで歴史の番組を見ました。
『ディビッド・ランデール VS ジョージ・モーガンの決闘』の背景について。。

一瞬、Duel って何だ?と思いながらもそのままテレビを続けて見てました。
どうやら、一対一でどちらかが降参(謝ることなど)するか死ぬまでの戦いらしい。(この戦い方は長い歴史もあるみたいですね。)

なんで、このディビッドとジョージの2人か?というと、1826年にスコットランドで起きた最後の決闘だったようです。場所はKirkcaldy(カルカーディ)。エディンバラより海を越えたところにあります。緑の矢印部分がKirkcaldy。(ここから眺める海がとてつもなくキレイで淡いブルーの海!多々ドライブ経験あり)

とにかく。
ディビッド・ランデールは真面目で忠誠心があり良く働く敬虔なクリスチャン、カルカーディの商売人。(妻はすでに他界)
ジョージ・モーガンは彼の取引先の銀行(Bank of Scotland・・・スコットランド独自の銀行)のマネージャー(ビジネスの経験ないけど銀行のマネージャーをやっている。)、いじわるな元軍人。

ある日、ディビッド・ランデールがお金のことでジョージ・モーガンに相談交渉、交渉は成立したはずだった。でもその後に交渉決裂。

ディビッド・ランデールはものすごく怒り、でも紳士的にクレームの手紙をジョージ・モーガンに送る。

ジョージ・モーガンは手紙を読み、これまた憤慨。『失礼な手紙を書いたので謝罪が欲しい』とディビッド・ランデールに手紙を送る。この時、ジョージ・モーガンの手紙の最後には、銀行のマネージャーという地位を強調せず、、自分の持っている軍人のタイトルを書き残す。

ディビッド・ランデールは『どこの部分で謝罪をするのかが分からない』と返事をする。

ジョージ・モーガンは憤慨。
ある日、ジョージ・モーガンが店の中で話しをしてるときに、ちょうどディビッド・ランデールが道を通りかかっているのを発見、ここぞとばかりにディビッド・ランデールを追いかけ、彼を棒で叩き始めたそうです。

ディビッド・ランデールは、この出来事が起きた日に決闘の準備をするのでした。場所はどこか?いつやるか、武器は何か?などなどを細かくスケジュール立てていくことになります。当時はこのスケジュールを立てる専門の人たちもいたので、彼らの力を借りて決闘の日取りを決めていったそうです。武器はピストル。お互いが向かいあい、合図と共に引き金を引く。

決闘のスケジュールが相手側のジョージ・モーガンにも伝わる。

決闘前日の夜。2人はそれぞれの『最後となる』時間を費やすことになります。決闘は早朝行われることが多かったようです。

ここで、おさらい。
ディビッド・ランデールは、商人で人生の中で一度もピストルを使かった経験なし。ジョージ・モーガンは元軍人、ピストルの扱い方にも慣れている。

何度か、決闘をする前にディビッド・ランデールは『謝罪』をジョージ・モーガンに要求していたようですが、ジョージ・モーガンは拒否。

お互いに危険な場面を作ってしまった。決闘前夜。
ディビッド・ランデールは親しい友人に最後の手紙を書く。重要書類ある場所や鍵は自分の洋服のポケットに入っていることなど詳しい情報を手紙に残し、最後の祈りをささげる。
それとは反対に余裕があるのはジョージ・モーガン。彼は何と、その決闘が行われる日の夕方に夕食会の招待状を出すほど余裕があった。

決闘当日の早朝。
ディビッド・ランデールは共に2人の医師を引き連れて決闘場所へ現れる。それに対しジョージ・モーガンは医師なし。

ディビッド・ランデールはジョージ・モーガンに謝罪をもう一度要求。ジョージ・モーガンは拒否。決闘が始まる前に妻からも『決闘を避けるように』との願いもジョージ・モーガンは拒否。

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イメージはこんな感じです。
(写真はウィキメディアから-Hamilton-burr-duelの様子)

立会人の合図で決闘。
びっくり!ディビッド・ランデールの弾がジョージ・モーガンの胸に命中、地面に倒れる前にジョージ・モーガンは即死。ジョージ・モーガンの放った弾はディビッド・ランデールをかすりもしなかった。

この出来事はすぐに広がり、ロンドン裁判へと持ち込まれることになります。
この決闘なのですが、、一応法律では殺人になる。裁判の結果、殺人が認められればディビッド・ランデールは死刑確実。

裁判の結果、無実になる。(!!)

その後、スコットランドに戻り新しい妻を迎え12人だったか?の子供を設け人生をまっとうする。ジョージ・モーガンは可愛そうなことに(?)彼の墓石に『ジョージ・モーガン』の名前すら家族は彫らなかったそうです=その名前が恥だから。。

と、このような内容の決闘でした。
この決闘は大人のケンカで最後の手段だったのでしょう。。自分が正しいと思うときだけに武器を取る。というような言葉を、決闘についてネットで探していた時どこかのサイトに書いてありました。これが決闘の時に一番大切なルールなのでしょう。

ウィキペディアでこの決闘のリストを見ていたらびっくりするのを見つけました!1792年には女性の決闘もあったみたいです!Lady Almeria Braddockさんと Mrs Elphinstoneさんという人達で、その名も"petticoat duel" -ペティコート(女性用の下着)の決闘。何が原因か知りませんが^^;
Lady Almeria Braddockさんの実際の年齢がばれる?とにかくピストルで撃ち合うもお互いの弾は見事に外れる(1つの弾は帽子に命中)。次に剣での決闘。Mrs Elphinstoneが腕に傷を付けるまで戦い、結局Lady Almeria Braddock さんに『謝罪』を書いて終了。

日本にもありました。
リストの中には、戦国時代の上杉謙信と武田信玄の戦い。と、有名な宮元武蔵と佐々木小次郎がリストに載っていました。

とにかく。
ディビッド・ランデールが殺人で裁判にかかり無実になったのも、彼は決闘を何とかして避けようと試みていたことが事実にあるからなのかなと思います。
ピストルを一度も使ったことのない人が、、銃の達人を負かす。
ドラマチックな結末だったと思います。

*当時の医学からして、もしピストルの弾で致命的損傷を受けなかったとしても、その傷から感染症などを起こし死亡することが多かったようです。
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by eilene | 2008-03-04 19:51 | 日常&雑談

Mothering Sunday

英国では今日、母の日です。
キリスト教的な歴史が背後にあります。
この日は、第4週目のレントにあたります。

この日は、英国では大きな範囲でとても特別な意味を持っているようです。
クリスチャンは、この日には地域の『母』体となる教会または大聖堂に集まり礼拝をすることになってますし(今は普通に地元の教会で全然OK)、大昔は(サーバント=使用人として子供や女性達が他の大きな家で働いていた時代)この日になると1日お休みをもらい、自分達の母や家族の元へ帰る習慣があったようです。現代では、普通に母の日として手作りのカードを送ったり日ごろの感謝を示す日となっています。

特別な日に、私のお母さんのこと家族を思います。
健康に気をつけて、元気で活き活きとした日々をいつまでも持ち続けてね♪いつも私と旦那の事も支え、考えてくれてありがとう!
義母にもカードを贈りました。
(去年の母の日 のブログ記事。)
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by eilene | 2008-03-02 15:08 | リディアの祈り

「ジキル博士とハイド氏」の本をもらった

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今年もやってきました!エディンバラ・フリーブックデー!
ONE BOOK-ONE EDINBURGHと呼ばれるもの。
今年もエディンバラ出身のロバート・ルイス・スティーブンソンの名作の本が無料で配られました。
(スティーブンソンは、体が弱く後に気候の良い場所へ移住しアメリカ人のファニーという女性と結婚した。)
去年はこの本をもらいました→Edinburgh City Library.

「ジキル博士とハイド氏」の話は、聞いたことあるけど読んだことがありません。2重人格の人が出てきて怖い話だと思っています。典型的な善と悪の話だとも聞きます。
ジキル博士とハイド氏ウィキペディアより。

裏話。
偶然にも作者がこの話を書いたときに、イギリスでは有名すぎる事件『ジャック・ザ・リッパー』切り裂きジャックの事件(娼婦が惨殺される)がロンドンで起きてた頃だったようです。犯人は医学に通用する人ではないか?とも噂されていた頃だとなれば、この本が話題になってもおかしくないですね。
もう1つ。本の舞台はロンドンだそうですが、実はこの舞台はエディンバラだったと言われているようです。
最初に書いていた「ジキル博士とハイド氏」の話は、妻のファニーからしてみて『あまりにも主人に似すぎている!』ということで破棄させられたそうです!それで出来上がったのが今のバージョン。

本を書く人は、よく自分の姿を本の中に反映すると聞いたことがあります。
妻としては、やっぱり良い感じはしませんね(^^汗)

去年の本は読んでない・・のだけど、今年の本は読めるだろうか?
読まなくちゃね。
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by eilene | 2008-03-01 13:37 | 日常&雑談

ヘンリー王子、アフガンへ。。

只今、イギリスのニュースの気になることは。
①ジャージー州?島?で起きた事件。
いくつかの子供の死骸が現在ユースホステルとして使われている建物の敷地内で発見されたこと・・・。昔、その建物は子供の施設として使用されていたそうで、大きな『虐待』が行われていたのではないか??と捜査が始まったようです。どうなるのだろう?
Jersey search enters second week BBC NEWSより。

②ヘンリー王子はアフガンへ行ってた!のニュース。
ブラウン首相は『彼を称えるべきだ』と絶賛。
本日のニュースでは、ヘンリー王子はアフガンの働き(10週間くらい)を終え今日イギリスに帰還する予定したそうです。メディアから情報が流れたため帰還となった。私にしたら、『じゃインタビュー受けるなよ』と思ってしまう。ヘンリー王子は軍人だけど、やっぱり王室の人間なんですよ。腰抜け王子から脱皮は出来たでしょうが、個人的には私には関係ないけど嫌~な感じのニュースでした。
BBCで最初聞いた時は、海外のメディアから情報が流れてしまったとありました。イギリス、またテロのターゲットになること間違いない。。らしいです。
今度は本格的にロイヤルファミリー全体もターゲットになるだろうということで、大掛かりな保護処置を取られる模様・・。


ヘンリー王子がアフガンで従軍 -2月29日
昨年12月から、前線近くで

チャールズ英皇太子の次男ヘンリー王子(23)が、陸軍士官として昨年12月からアフガニスタン南部ヘルマンド州の前線近くに派遣されていることが28日、明らかになった。

PA通信によると、英主要メディアは国防省と報道協定を結び、王子の帰国まで一切の報道を控える方針だった。しかし、米ニュースサイト「ドラッジ・リポート」が同日に特ダネとして報じたため、英メディアも追随。国防省も事実関係を認めた。

アフガン南部は旧政権タリバンの残存勢力との戦闘が続き、英兵の死者も散発的に出ている。英軍幹部は「(報道は)非常に残念だ」と述べ、王子の帰国を予定より早めるかどうか検討する意向を示した。

BBCなどによると、王子は前線近くで、地上から航空機の誘導を担当しているほか、武器を携行して徒歩でのパトロールも行っているという。

ヘンリー王子は王位継承順位第3位で、陸軍士官学校を卒業後、近衛騎兵連隊に所属。昨年イラク派遣を希望し、陸軍はいったん派遣命令を出したが、武装勢力の標的となる可能性が高いとして撤回していた。

英王室の男子は軍務に就く伝統があり、1982年のフォークランド紛争では、エリザベス女王の次男アンドルー王子が海軍のヘリコプター操縦士として従軍している。(共同)

イギリス生活情報週刊誌 2月29日英国発ニュースより。
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by eilene | 2008-03-01 12:57 | 気になるニュース

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